団塊世代どっとねっと

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アナログなメール

2008年09月28日

インターネットが普及して,近頃は手紙に代わりメールが大きな役割を果たしています。
しかし,こころを通わすのには,まだまだはがきや手紙の方に分がありそうですね。

今はもう会社勤めをやめた筆者ですが,会社時代に面倒をみた新人(当時)の一人の女性から,だいぶ前のことですが,はがきで暑中見舞いがきていました。丁寧な手書きのイラスト入りのこころ暖まるはがきでした。

昨日,新人の一人が転勤することなり,その送別会で久し振りに彼女に会い,返礼しなかったことをお詫びしておきました。その女性は,はがきを出すのももらうのも大好きだと言っていました。年賀状を出す時は,随分前から準備を進めているそうです。

特に,自分宛のはがきがポストに入っているとわくわくするそうです。
彼女は,旅も大好きです。人との出会いが好きなんだそうです。人が大好きなんですね。
そんな彼女は,笑顔がとっても素敵な女性。職場の雰囲気も明るくしているようです。
彼氏がいないのが不思議なくらいですが,先日の北海道旅行で出会いがあったと言ってましたので,その発展を祈りたいものです。

さて,彼女にはどんなはがきを出しましょうか。

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カテゴリ: 徒然日記

Made in Occupied Japan

2008年09月28日

最近,古いカメラを入手しました。
恐らく1949~50年に製造されたと思われる国産のカメラです。
とはいうものの,海外の有名メーカーのカメラのコピーのようです。

このメーカーは既に存在しませんが,つい最近まで,そのカメラメーカーに勤めていた人がこのカメラの修理を行っていたそうです。
1949年と言えば,まだ日本が占領されていた時のこと。戦争が終わった1945年から1952年のサンフランシスコ講和条約の締結まで,日本は占領状態でした。
その間に製造されたものには「Made in Occupied Japan」の刻印があります。略して,MIOJと呼ばれコレクターズアイテムだそうです。

戦後すぐの日本は,食べるのに精一杯でカメラなど作る余裕はなかったと思われますので,1949年に製造されたこのカメラは,製造業が復旧してまもなくのカメラと思われます。

ちなみに,このカメラ,Semi Leotaxと呼ばれ,その初代のカメラのようです。初代にも3つの版があるらしく,その中の最後の版のようです。かなり珍しいものと思われます。
色々と調べてみましたが,この後の世代のカメラはオークションなどに沢山出ていますが,このカメラだけは,どこにも見つかりませんでした。唯一,カメラ史の説明のWebに,このカメラの写真が掲載されていました。(そちらの写真は,初版の第二版のようでした)

よく考えれば,団塊の世代は,占領下の日本で生まれたのですね。
Born in Occupied Japan ですね。

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カテゴリ: 徒然日記

社会保険庁

2008年09月26日

先日,年金の請求の手続きに社会保険庁に行ってきました。
手続きをした感想は,やっぱり社会保険庁だなぁ…でした。
何故か? 仕事のやり方が,全くなってない。
大切な年金を扱う仕事のやり方そのものが,全くなってないです。
おまけに,やる気のない職員。ちゃんと仕事をしろ!! と怒鳴りたい位でした。

年金の請求を提出したことに対して,提出したということの証明を申請者に対して,何も出さないのですね。これでは,提出した書類を,社会保険庁内部で紛失してしまったら,提出されてませんよ,の一言で終わってしまいそうです。
銀行に例えれば,通帳をあずけても預かり証を出さないのと同じです。
そんな仕事のやり方をする銀行があったら,1ケ月でつぶれてしまうでしょう。
あのいい加減な社会保険庁ですから,充分ありそうです。

しかも,申請の手続きをしてから,年金証書の発行までに3ケ月もかかるとか。実際の振込は,来年になるそうです。
私の場合,一つの会社にずっと勤めていたので,いわゆる年金問題もない筈のに,そんなに時間がかかるのでしょうか? コンピュータ化されている筈なのに。考えられるのは,庁内での事務処理に,たくさんの人が介入して,数多くの判子を押さないと,事務が進まないシステムになっていることですね。
むだな仕事をする人が沢山いて貴重な税金を食いつぶし,年金の掛け金を盗んでいるのですね。
先日,銀行に相談に行った時に,銀行の担当の人も,「社会保険庁は泥棒と思って付き合う必要がありますからね」と言ってました。私にいわせれば,社会保険庁は,泥棒ではなくて,強盗です。否応なく人のお金を取っていくのですからね。

ちゃんと,仕事をしてくれるのかどうかわからない社会保険庁。
この役所は,もう完全に腐りきっていますね。
社会保険証庁は,解体されて,新しい機構ができるようですが,仕事をしている人達が同じですから,何も変わらないと思います。

社会保険庁の解体は,すべての責任を社会保険庁という団体におしつけることによって,それに携わってきた人達の責任をあいまいにしようという策謀です。
解体されてしまえば,責任をもつ人がいなくなる訳ですから。
こんな策謀に,なぜ誰も気付かず,社会保険庁はけしからんから解体しろなどど言ったのでしょう。マスコミでも,解体に反対する論調は全くありませんでしたね。
社会保険庁は存続して,徹底的に責任を追求すべきです。
新しい,機構になったら,あれは別の組織ですから,私達とは関係ありませんと,言うに決まっています。

こんな強盗達をのさばらせている政治家には,選挙で鉄槌を下す必要がありますね。

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カテゴリ: 徒然日記

本格的治療の模索

2008年09月07日

根本的な治療法を間が始めたものの,やはりできれば手術はしたくない。
そこで,まずは,治療方法についての情報収集を始めました。

人に聞く

まずは,周りの人達に聞いてみました。日本人に腰痛持ちは多いということで体験者に聞いてみると,外科手術で治したと言うひとは,筆者の周りにはいませんでした。
しかも,治ったという人も,整形外科で治したというひとがほとんどいないことに驚きました。ある人は,鍼で治したとか,整体で治したとか,そんな人ばかり。
どうして,腰痛は整形外科では治せないのでしょうか? 不思議です。
また,周りには,脊椎管狭窄症と診断された人はいませんでした。

インターネットで治療法を検索

インターネットで色々と検索をかけてみました。
ちゃんとしたお医者さんの解説もあるのですが,怪しげな治療法の多いこと。
エネルギーの波動がなんとか,共鳴がなんとかとかとか…
そんなのに,関わっていたら,何万円もする霊水や壺を買わされそうです(^^;)。

もっと驚いたのは,正式に鍼や整体の医院を開業しているところでさえ怪しいものが多いことでした。
脊椎管狭窄症を鍼で治すという鍼灸院もありましたが,公開されている治療実績を見てみると治ったと言えるのかどうか微妙でした。単に,痛みを軽くしているだけのような気がしました。だいたい,どうして鍼で脊椎管狭窄症が治るのか,理由がわかりません。

鍼や整体の医院では,法律で診断は許されていない筈なのに,レントゲン写真で診断をしますとか謳っているところもありました。これは違法行為だと思います。その人が医師の免許も持っていれば別ですが。
整体やカイロプラティックなどの民間治療の枠をはみ出ているところも多くありました。

体験者の記事を四手みると,自分の体験から断定しているような記事も結構ありました。
「脊椎管狭窄症は手術では治らない。私は手術をしても治らなかったが,腰の体操で治った。だから手術はするな」とか。
しかし論理に飛躍があります。体験談は事実でしょうが,解釈の仕方は,色々あります。もともと,お医者さんが誤診をしていたとか,脊椎管狭窄症の症状は事実だが,それが腰痛の原因ではなかったとか。(MRI等で,画像からは脊椎管狭窄症であっても,症状のでない人もいます)
体験談を読む時には,ちゃんと論理的に考えながら読むことが必要です。

誰でも情報発信ができるのがインターネットのいい所でしょうが,本当に玉石混淆です。情報を読み取る側にも情報を慎重に読み取る態度が必要です。

私自身,東洋医学には,それなりの尊敬を払っているが,オカルトと言われても仕方がないようなものも多いですね。波動とか,なんとかエネルギーなんて言葉が出てくると私は,間違いなくインチキと判断します。

OKWaveとか教えて!goo のような質問サイトも見てみました。
専門家の方の回答は信頼できましたが,一般の方の回答には首をかしげるものもありました。

手術方法

  脊椎管狭窄症の手術は,具体的にどんなふうにするのか。
  詳しい手術方法の説明がありました。
  http://www.naruoseikei.com/hakuzan/33/33.html 

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カテゴリ: 脊椎管狭窄症

手術までの経緯

2008年09月05日

発症(2005年頃?)

  はっきりとは覚えていないのですが,2005年頃から,電車などで吊り革につかまって20分くらい立ちっぱなしの状態の後,電車から降りようとした時に,足が痺れて歩きにくくなることを自覚し始めました。暫くは,その時だけの症状かと思っていましたが,いつもそういう状態になります。そしてその症状が少しずつ重くなってきました。そして,立っている時だけでなく歩いていても,足が痺れる症状がでてきました。典型的な間歇性跛行です。当時は,そういう言葉も知りませんでしたが。この状態は徐々に進行してゆきました。

腰痛も併発(2006年夏頃~)

  前記の発症と前後して,仕事の都合で遠距離通勤を余儀なくされました。
朝の5時に起きて電車,新幹線,バスを乗り継いで片道3時間の通勤。早朝のため,ずっと座ることができましたが,これが腰に悪かったらしく,段々と腰に痛みがでてきました。ひどい時には,電車に座った状態から,痛みで立ち上がれなくなりそうな時もありました。座りっぱなしの姿勢が腰に悪いことは,直感で分かりました。
痛みが治らないため,近所の整形外科に行きました。レントゲンを撮ってみたところ,椎骨がかなりすり減っていて,それが原因で腰の痛みが出るのだろうという診断。治すためには,腰痛体操をしなさい。できれば,リハビリに通うようにとのことでしたが,仕事もあり,リハビリに通うことは無理でした。
家で,腰痛体操をするものの,効果が現れることもなく,おっくうになってやめてしまいました。腰痛は一進一退でした。

ジム通い(2006年秋頃~)

  健康のため,体を鍛えようと,友達に薦められたこともあり,土日にジムに通い始めました。ジム通いは結構楽しく,体調はよくなってきました。腰痛も軽くなってきた気がしました。体重が減り,筋肉も少し付いてきました。
しかし,間歇性跛行の方の症状は良くなりません。

某大学病院へ(2007年初め頃)

間歇性跛行は,一向に改善せず,ひどい時は,電車から降りる時に足が痺れてホームと電車の隙間に落ちそうになったこともありました。また,少し歩くと足が痺れて歩けません。
こうなると,さすがに治さないといけないと思い,某大学病院へ行きました。
足が痺れる症状から,足の血管に問題が出てきたのかと思い内科を受診しようと思いましたが,整形外科を受診するように指示されました。腰のレントゲン写真を撮られ,症状の聞き取りと診察から,脊椎管狭窄症でしょうとの診断。それほど症状がひどくないようだから,様子を見ましょう。腰に負担をかけないように姿勢に注意するようにと。(そんなこと言われても,困ってるから来たのに…..)

しかし,跛行は治らず,だんだんと症状は悪化。休めば,足の痺れは収まるために歩くことはできるものの,明らかに歩き方がおかしくなり,足をどうかしたのですかと必ず言われるようになる。

ヘルニア併発(2007年5月)

  2007年5月,仕事中に左足に激しい痛みを感じる。激痛のあまり嘔吐。とりあえず,会社の診療所で座薬を処方してもらい,翌日,前に診てもらった某大学病院へ。おそらくヘルニアでしょうということで安静にしておくようにとの指示で2週間ほど家で静養。痛みは,だんだん軽くなる。
一週間後,腰部のMRIを撮り,ヘルニアと共に脊椎管狭窄症も発生していることがはっきりとする。しかし,またもや,特に治療方針は示されず,様子をみましょう….
治してくれそうな気がしない。

鍼治療のトライ(2007年11月頃~)

間歇性跛行はだんだんと進行。休みながらでないと歩けないため,時速,500メートル。100メートル歩くことですら苦痛になってくる。
腰の痛みも大きくなり,腰をかばうために前かがみに歩くことが癖になってしまう。日によっては,腰の痛みで歩くことが辛い日も。痛みの違いから,ヘルニアが原因ではなく脊椎管狭窄症が原因と予感
痛みだけでも軽くしようと,鍼治療をしてみる。しかし,2日位は腰の痛みが軽快するもののまたすぐに元に。間歇性跛行は治らない。数カ月通ったが,根本的治療にはならないと中止。
この頃になると,遠距離通勤が非常に負担となってくる。このままでは,完全に腰を痛め,回復不可能になりそうな予感。定年よりも半年早く会社を退職(2007年12月)。

手術を考え始める(2008 4月~)

会社を退職し,体への負担が減って,少し楽にはなったものの,腰痛と間歇性跛行は変わらず。特に,間歇性跛行は治らず,跛行による歩行制限で生活にさまざまな制限が課され,我慢の限界に。腰の痛みから歩き方そのものがおかしくなってしまい,人と会うたびに腰はどうされたんですか? と問われる毎日。テレビの健康番組でも,脊椎間狭窄症の情報が増えてきたこともあり,根本的な治療として,手術を考え始める。

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カテゴリ: 脊椎管狭窄症

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